晴波diary

メモ帳の様に、感じたことをつらつらと書いています。

実在性の話

初めまして。
晴波です。

今までずっとスマホのメモ帳にアニメ、ライブの感想や旅行の思い出などを書き溜めていたのですが、スマホが壊れたらお釈迦になるなと思いメモ帳としての場を作りました。また文章として残すことで思考の整理になればとも思いました。
ラブライブ!シリーズについて書くかもしれません。
本当に只の自己満足、メモなのでご了承ください。




で、タイトルの本題ですが。
昨日、原宿で澁谷かのんの実在性を確認しました。
久しぶりに感動で鳥肌が立ちました。


普通の人が見たらなんということはない、神宮前の横断歩道。
信号が青になり人々が渡り始めたその瞬間に、自分はあのキービジュアルの世界に誘われたような錯覚に陥ったのです。
そこに彼女達が"いる"と。頭ではなく本能が理解した瞬間でした。

自分、キャラが本当にその場にいるって思うことが実はあまり無いのです。
巡礼して、彼女達の足跡を辿り、同じ街の空気を吸うことで彼女達が生きていることを実感する。それは彼女達の存在を確認することに他ならないのですが、訪れたその瞬間に彼女達がそこにいるとは自分は思っていません。
自分が彼女達に"会える"のは、ライブの中の奇跡のような一瞬であったり、淡島での脱出ゲームでの"会話"といった特別な環境においてのみ可能なものでした。

一晩経って思ったのは、人々が横断歩道を渡ることで聖地という静的なものが、ライブとかに近い動的なものになったことにより、昨日の澁谷かのんの存在を感じ取れたことへ繋がったのかなと思っています。


新シリーズにおいても、キャラの存在を現実世界で感じ取ったことで、結局新シリーズも追うことになるだろうなと確信しました。もちろん、"初め"から応援するつもりでいたしそうするつもりなのですが、一歩深みにハマったかもしれません笑。





余談①
竹下通りを通った後にブラームスの小径へ入ると本当に表の喧騒が無くなります。人通りも疎らで、通り1本隔てただけでこうも違うのかと感心しました。小径は日陰というか、全体的に暗い。
訪れたのが雨上がりの夕方ということも相まって鬱蒼とした雰囲気すら漂わせていました。ここに歌を歌いに来るかのんは確かに少し恥ずかしがり屋かもしれないですね。

余談②
竹下通りからブラームスの小径へ向かう途中にCHRISTIEというお洒落なカフェがあるのですが、そこのスコーンが美味しかったです。なお店に傘を忘れてのちに取りに戻る羽目になりました()